これで年金に関する記事は最後。何とも今のコロナ渦では微妙な話題になってしまいましたが、年金制度と比べての話しでありますので、ご理解ください。
何はともあれ、社労士として活動し始めたときの「年金専門の社労士として」みたいなことを考えていたときに書いた記事は終了で、次回から、全国農業新聞に寄稿した記事をまた振り返って載せていきたいと思います。
第一条
「この法律は、日本国憲法第二十五条に規定する理念に基き、国が生活に困窮するすべての国民に対し、その困窮の程度に応じ、必要な保護を行い、その最低限度の生活を保障するとともに、その自立を助長することを目的とする。」
法律の第1条にはその目的が掲げられています。上のような目的を掲げた法律・・・皆さん、ご存知でしょうか?コラムの題名にもしました「生活保護法」の目的(第1条)です。第1回のコラム「社会保険ってなんや?」の最初に少し触れましたが、日本国憲法第25条において規定されている「全ての国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有し」、そのために国の責任において行う制度の一つに「社会保険」があることをお話しました。ただ、社会保険はあくまでも「保険」であって、保険である限り「保険者」「被保険者」の関係が必要です。
「保険料の拠出があり、給付を受ける」という関係が成り立っています。これが社会保険・・・年金制度です。
では、上にあげた生活保護はどうでしょう。
第1条に掲げられているとおり、生活が困窮している国民に対して、国として「必要な保護」を行い、最低限度の生活を「保障」する制度です。そこには保険関係はなく、国の責務として国民を保護するための制度です。
年金議論のなかに、基礎年金制度と生活保護制度を比較して論じる評論家や政治家がいますが、個人的には間違った議論だと考えています。というのも、(前提として)保険関係で成り立っている年金制度と困窮に陥った場合に国の責務として手を差し伸べる生活保護制度では根本的に違う制度だからです。
議論の中には、「満額の基礎年金と生活保護の額が同じ程度」というものがあります。これも大きな間違いです。確かに、給付される額だけをみると同額・・・程度といえるかもわかりません。ですが、生活保護法には下のような条文があります。
第四条
「保護は、生活に困窮する者が、その利用し得る資産、能力その他あらゆるものを、その最低限度の生活の維持のために活用することを要件として行われる。」
生活保護を受給するには、厳格な条件がある(・・・はず・・・な)のです。
●資産があれば処分し、生活費にあてる
●働く能力があれば、働いて生活費を得る
●援助可能な身内があれば、援助してもらう
その他・・・
これらの条件を満たして、生活費に足りない部分を保護しようというのが生活保護です。
もちろんですが、基礎年金にはこのような条件はなく、保険料納付実績によって給付されます。
報道や議論・・・ニュース番組のなかでは、「生活保護の受給者であっても、それなりに贅沢をしている」ような報道・・・論調を見受けることがあります。これは、法(制度)が厳格に運用されていないだけであり、法の趣旨に反して受給しているとすれば、生活保護制度の運用に対して問題があると考えるべきです。
年金議論の中に運用に問題がある(・・かもしれない)生活保護を対比して考えること自体が間違っていると思うのですが・・・。
ただ、問題は違う制度である生活保護をと比べて年金制度を議論していることではありません。
今の国民年金被保険者が誤った判断をしてしまうのではないか・・・ということです。
「国民年金・・・受給できなくても、生活保護がある・・・」
本当にいいんですか?
生活保護費は、いうなれば税金から支給されています。今後生活保護の受給者が増えたとして、制度運用(支給の決定)に問題があれば、間違いなく法に則って厳格に運用されるでしょう。
将来、本当に生活保護が受給できますか??
*うっまいトマトいただきました。
甘味と酸味が絶妙、なんですが、やはりこれだけ熟しているのに実がしっかりとしている。完熟するまで樹になっていた証しです。
これからの時期、朝に食べることをお勧めします。やっぱトマトといえば、朝!でしょ。
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