戦国武将の旗印 ①
- 將詞 橋本
- 2 日前
- 読了時間: 2分
毎月顧問先に送らせてもらっている「狸通信」にて、私が寄稿している記事から、2021年12月号。毎回、人材育成の話を歴史になぞらえて書かせてもらっていますが、戦国武将が掲げた旗印について書いています。(もちろん、色んな歴史に関する本を読ませてもらって・・・の話題です。。)
さて、いきなりですが、人材不足がさけばれている昨今、農業界では作物がどんどん成長しているこの時期、労働力不足に悩んでおられる経営体が多くおられます。「人の定着」がすすめば、労働力不足も少しは解消できそうですが、定着がすすまないまま、仕事量が増えていくとなると、募集する人数も増します。「人材の定着」その前には、採用活動があります。採用活動の始まりは「募集」です。募集しても人が来ないということはよく聞きます。
採用の募集は、「花火」と同じだと思います。どれだけの人に見てもらうか、そのためには、広く広報すること、高く打ち上げること、大きな花火を打ち上げること。まずは、どれだけ多くの人の目に留まることができるか、そこがまず第一歩だと思っています。
戦国武将の中で、その時代、突拍子もない花火(本人には、人材募集のためという考えはなかったはずですが・・)を打ち上げた大名がいます。織田信長です。
信長が、稲葉山城を攻略し、地域を「岐阜」と改めたころから「天下布武」という刻印を使うようになりました。この「天下布武」は、「武(力)で天下を布く」ではありません。この「武」は、孔子が編纂した書物に由来する「七徳の武」を意味します。
暴を禁じる(暴力を禁じる)
戦を止める(戦いを止める)
大を保つ(天下を保つ)
功を定める(功績を正しく評価する)
民を安んじる(民衆を安心させる)
衆を和す(組合が争わないようにする)
財を豊かにする(経済を豊かにする)
この七徳が、その時代、どれほどの衝撃であったかわかりません。ただ、こんな発想をする人は存在しなかったのではないかと想像できます。そもそも、「天下」を全国として認識することすら難しい世であったことを考えると、いかに大きな花火であったことが想像できます。その信長の考えに大きく共感した者に、秀吉、光秀がいるのではないでしょうか。花火の話は、次回に。

京都市右京区嵯峨水尾に行く途中で、保津峡が眺められます。



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